レコ屋の店主の方へのインタビュー連載”レコ屋のヨモヤマ話”。今回は、福岡県福岡市中央区の 豊丸レコード を訪ねました。

レコード店というと、整然と棚が並び、店主の美学がきれいに可視化された空間を思い浮かべる人も多いかもしれない。けれど、豊丸レコードは少し違う。もっと私的で、もっと気楽で、でもそのぶん、店主の豊志さんが何を面白がってきたのかが、むき出しで置かれている。

福岡の街なかにあるこの店は、いわゆる“ちゃんとしたレコード店”というより、音楽好きの人が長い時間をかけて育ててきた部屋に近い。毎日きっちり開いているわけでもない。週に何度か、タイミングが合うと扉が開く。InstagramのDMでやりとりしながら来る人もいれば、検索サイトで見つけてたどり着く人もいる。海外からの来訪者もいるという。
でも、その不定形さを不便だと切り捨てるのは、ちょっと早い。この店には、便利さや効率とは違うところで、人を惹きつける理由がある。そこにあるのは、“売るため”より先に、“知ってほしい”がある空間だ。

豊志さんが音楽に深く入っていった起点は、いわゆる英才教育のようなものではなかった。子どもの頃から家で特別な音楽が流れていたわけでもない。ただ、中学から高校にかけて、夜のラジオが強く残った。受験勉強をしながら、オールナイトニッポンやコミュニティFMを聴く。熊本で過ごした高校時代、夜の番組で流れてくるノンストップミックスや、まだ名前も整理できない音楽の断片が、少しずつ身体に入っていった。
この言葉が象徴的だ。豊志さんにとって音楽は、最初から誰かに見せるものではなかった。ひとりで受け取るものだった。そこから大学時代、大阪でクラブのバイトを始めたことで、その風景が変わる。箱貸しのクラブには、毎日違うジャンルのイベントが入り、普段出会わないような人たちが集まってくる。ソウル、ハウス、ロカビリー、アンビエント、得体の知れない混ざり方をした夜。クラブで働くことは、単に音楽の知識を増やすことではなく、音楽が“人の集まる理由”になる場を体で知ることだった。

豊丸レコードのおもしろさは、まさにこの感覚の延長にあるのだと思う。ただ棚を作っているのではなく、音楽を媒介にして、人が少しだけ他人と接続される場所を作ろうとしている。店が“趣味部屋みたいなもの”だと本人が言うのは、たぶん謙遜半分、本音半分。でも、その部屋には、人を閉じる感じがない。むしろ、ここから別の世界に行ける感じがある。

レコード店をやっている人に対して、つい”どれだけ掘っているか”、”どれだけ売れるか”を聞きたくなる。でも、豊志さんは、そこにあまり重心を置いていない。
このひと言で、この店の見え方がかなり変わる。もちろん商売ではあるし、買ってもらえたら嬉しい。でも、レコードを売ることそのものがゴールではない。もっと手前に、”こんな音楽あるよ”、”こういう入口もあるよ”という気持ちがある。

だから媒体にも過剰なこだわりはない。レコードでも、CDでも、カセットでもいい。大事なのは、その人が音楽に触れるきっかけを持てることだ。実際、初心者に何をすすめるかという話になったとき、豊志さんは“名盤”でも“これを聴けば分かる一枚”でもなく、コンピレーションを挙げた。

この感覚がいい。わからないなら、いきなり正解を当てにいかなくていい。まずはいろいろ入っているものから、少し引っかかるものを探せばいい。初心者に対して上から教える感じがないのは、豊志さん自身がずっと、そうやって音楽の幅を広げてきたからだろう。知識を誇示するより、入口を渡す。豊丸レコードが初心者にやさしいのは、“初心者向け”を演出しているからではなく、豊志さん自身が、音楽との出会い方に正解はないと知っているからだ。

豊丸レコードの棚は、いわゆる王道の安心感だけではできていない。クラブミュージック寄りの出自が強く、シングル盤も多い。しかも、この店のひとつの特徴として、ブート盤やライブ盤の存在がある。もちろん権利関係にはセンシティブな領域もあるが、そこも含めて、いま流通している“正規のきれいな世界”だけでは収まらない音楽の面白さに手を伸ばしている。
それを、珍しさのためだけに並べているわけではない。むしろ、普通の棚にはこぼれ落ちやすいもの、音楽好きの寄り道として面白いものを拾っている感覚が近いのだろう。しかも値段は全体的にかなり抑えめだという。本人も”趣味だから安い”と笑っていたが、その気分はたぶん本当だ。高く売り抜く緊張感よりも、誰かが気軽に手を伸ばせる余白を残している。

国内での仕入れに加えて、東南アジアやトルコでカセットを買ってくることもある。旅先で掘り、持ち帰る。重いし、効率でいえば全然よくない。でも、その非効率の中に、その人の棚ができる。大手の中古店で揃う正しさとは別の、手触りのある偏りがここにはある。
しかも、それが“マニアしか入れない棚”にはなっていないのがいい。クラブ由来のセンスや偏愛はある。でも、そのまま初心者をふるい落とす方向にはいかない。このバランスが、意外と貴重だ。

豊丸レコードは、毎日開いている店ではない。一般的な店舗運営の感覚で見れば、むしろ弱みに見える部分だろう。でも話を聞いていると、それは単純な制約ではなく、豊志さんの生き方そのものとつながっていた。
日中はECや業務改善、クライアント支援の仕事をしている。AIも使いながらツールを作り、現場の運用を整える。かなり現実的で、かなり実務的な仕事だ。その一方で、夜はクラブに行き、DJをし、旅行にも出る。レコード店もやる。全部を無理やり一本化しないまま、ちゃんと並走させている。

この言葉は、案外強い。もっと開けた方がいい、もっと頑張った方がいい、という正論はいくらでもある。でも、この店は“無理をして大きくなる店”ではない。豊志さんがちゃんと人生を楽しみながら、その延長に店がある。そのサイズ感を守ることでしか出せない空気がある。
豊丸レコードに惹かれる人は、レコードだけを買いに来るのではなく、その“楽しみ方の総体”に触れに来るのかもしれない。音楽だけで閉じず、夜遊びや旅行や人付き合いや仕事の仕方まで、全部がゆるくつながっている。その人の暮らしごと店に滲んでいるから、店に体温がある。

友人づてだけではなく、レコードを買い始めたばかりの人も来る。音が出ない、機材の接続がわからない、何を買えばいいかもまだよくわからない。そういう人に対して、豊丸レコードは、玄人の論理で切り返す場所ではない。会話しながら、その人の入口を一緒に探していく場所だ。
それは、クラブ文化の感覚とも重なる。趣味が近い人が集まり、ちょっとずつ話せるようになる。合うかどうかは行ってみないと分からないけれど、一回覗いてみれば、自分の中の何かが少し動くことがある。豊志さんがクラブをすすめる時に、”合う人もいるし、合わない人もいる。けど一回行ってみたら”と話していたのも印象的だった。その距離感は、そのまま店にも当てはまる。

豊丸レコードは、完成された答えをくれる店ではない。むしろ、まだ自分の“好き”が言語化できていない人に向いている店だと思う。何が好きか分からない。でも何か気になる。そういう段階の人が入った時、この店では、知識量ではなく温度で迎えてもらえる。
福岡でレコード店を探している人はもちろん、旅先で“よくわからないけど、こういう店に入りたかった”と思える場所を探している人にもすすめたい。整いすぎていない。効率的でもない。だけど、だからこそ、そのがこれまで音楽とどう付き合ってきたのかが、ちゃんと見える。
豊丸レコードは、レコード店というより、音楽にまた入り直すための入口なのかもしれない。誰かの長い夜の続きに、少しだけお邪魔させてもらうような。そんな店だった。
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