レコ屋の店主の方へのインタビュー連載”レコ屋のヨモヤマ話”。
島根県出雲市にあるレコ屋「北村電機レコード」。
その名前のとおり、もともとは地域の電気屋です。しかし、店を訪れると、一般的な電気店とは少し違う景色が広がっています。
1階には、家電製品とともにスケートボードやアパレルが並び、2階へ上がると、壁一面にレコードが並ぶ空間があります。
今回は北村さんに、音楽との出会い、スケートボードを通して広がった世界、そして北村電機レコードという場所について聞きました。

音楽やレコードにのめりこんでいったきっかけを教えてください。
北村さん実家が電気屋なので、家にはレコードプレーヤーやテレビ、オーディオ機器が普通にありました。姉もいたので、キョンキョン(小泉今日子)などのレコードやカセットテープが家にあって、自然と音楽に触れる環境ではありました。自分で最初に聴いていたのは、小学校低学年の頃に買ってもらったアニメソングのレコードだったかな。
決定的だったのは中学3年生の時に始めた、スケートボードですね。
スケートボードのビデオ(スケートビデオ)を見るようになって、そこで流れていた音楽に、どんどん惹かれていったんです。
最初の頃は、メロコアやパンクが流れていて、その後、1960年代から70年代のロックやソウル、ファンク、さらにヒップホップも使われるようになっていきました。
スティーヴィー・ワンダーやダイアナ・ロスなど、自分が映画を通して耳にしていた音楽が、スケートビデオの中でも流れていたんです。
『(スケートボードで、)こういう曲を使うんだ』という驚きがありました。
スケートビデオは、技を見るだけのものではありませんでした。当時の僕には、音楽やファッション、映像のつくり方まで含めて、その世界のカルチャーを知ることができたのは大きかったと思います。


スケートボードに没頭するなかで、レコードはどのような存在だったんですか。
高校生の頃は、横浜で開催された全国大会に出場することもあったんですよ。後にプロになっていくような人たちと一緒に滑っていました。
ただ、プロになろうと思っていた時期もありましたけど、県外の上手い人たちを見ると、やっぱりレベルが違いましたね。
ただ、大会に出ること自体が楽しかったですし、スケートボードは今もやめていません。今でも大会に出ることがあります。
高校3年生くらいのときに本格的にレコードを買い始めました。地元の先輩が持っていたレコ屋の白黒の通販カタログを見せてもらって、それを真似して注文していました。
当時は、レコードの情報を調べるにも、今のように検索すればすぐ出てくるわけではなくて。カタログを見たり、先輩に教えてもらったり、広島や大阪へスケートボードの大会に行ったときにレコ屋へ寄ったりして買っていました。
スケートボードをしに県外へ行って、その街のレコ屋にも立ち寄る。スケートと音楽が、自然にセットになっていましたね。
当時はCDも出始めていたんですが、レコード媒体は、タフさが好きでした。CDはケースが割れたり、傷がついて音が飛んだりすることがありますよね。レコードは熱や砂などに気をつけていれば、かなり長く残せます。それに、当時からレコードは、持ち続けることで価値が残るものだと思っていました。
もちろん音楽を聴くためのものですけど、所有する楽しさもある。ジャケットも大きいし、ものとして存在感があります。買ったレコードを後に売ることもありましたし、昔からレコードの価値については意識していたかな。


レコ屋を始めるきっかけはなんだったんですか?
高校を卒業してからは、しばらく海外にも行って、スケートボードやクラブなど、いろいろなカルチャーに触れていた時間もありました。
海外のスケーター仲間とクラブへ行ったり、スケーター自身がDJをしていたり。スケートボードとヒップホップ、DJ、ファッションが、同じ場所で混ざり合っていたんです。
日本では、それぞれが別のものに見えることもありますが、現地では全部がひと続きでした。
出雲に戻ってからは、自分たちでDJイベントをやったりもしながら、27歳くらいの頃から父親の電気屋の仕事を手伝い始めました。
電気屋は、自分が好きだから始めたというより、もともとそこにあった仕事です。ただ、地域の人の生活を支える仕事ですし、スケートショップやレコ屋を続けるための土台にもなっています。
レコ屋に関しては、地元で個人的にレコードを売っていた知人から譲り受けたことが始まりかもしれないです。
相場を調べてネットに出したり、残ったものを1階に並べて販売したりしました。自分たちでは“レコ屋ごっこ”と呼んでいたんですけど、思っていた以上に売れたんですよ。
『出雲でも、レコードを探している人はいるんだな』と思いました。
それが、今の店につながる経験のひとつになっています。
実際にお店を始めたのは4年前くらいで、もともと1階で電気屋とスケートショップをやっていたので、2階のスペースを使ってレコ屋を始めました。
最初から、電気屋とスケートショップとレコ屋をこういう形で組み合わせようと考えていたわけではありません。
でも振り返ると、海外で見てきた、スケートボードや音楽、DJ、ファッションが同じ場所で自然につながっている感覚が、この店にも出ているのかもしれないですね。
スケートボードを通して音楽や映像、ファッションを知って、レコードもその中で出会ってきました。
そして電気屋は、地域の生活を守る場所。文化だけでは、場所を維持することが難しいこともあります。だから、生活に必要な仕事をきちんと続けながら、自分たちの好きな文化も守っていく。
全部を同じ建物でやっているのは、結果的に自分らしい形になったと思います。

店内で意識していることを教えてください。
なるべく見やすくすることです。
レコードを箱の中にぎゅうぎゅうに詰めると、一枚ずつ見るのが大変ですよね。だから、手前に引き出しやすく、横からも抜きやすいようにしています。
レコ屋に慣れている人だけではなく、初めて来た人でも探しやすい店にしたいんです。ジャンルも細かく分けすぎず、洋楽・邦楽などの大きな区分と、アーティスト名を基準に並べています。
ソウルなのか、ジャズなのか、ロックなのか。音楽によっては、人によって分類が変わりますよね。
ジャンルで分けると、逆にどこを探せばいいのかわからなくなることもあります。
初めてレコードを買う人なら、『洋楽が欲しい』『マイケル・ジャクソンを探している』くらいから始まることも多い。わからなければ、声をかけてもらえれば、一緒に探しています。
お客さんも20代から70代くらいまで、幅広いですね。週末は20代のカップルが来ることもありますし、初めてレコードを買う人もいます。昔聴いていた音楽を、久しぶりにレコードで聴きたいという人もいます。もちろん、レコードを長く集めている人や、地方の店を掘りに来る人もいます。
有名なDJやコレクターが見ても、『こんなものが、こんなところにあるんだ』と言っていただけるレコードもあるんですよ。地方のレコ屋ならではの、まだ掘り尽くされていない面白さはあると思います。


これから、北村電機レコードをどのような場所にしていきたいですか。
今も、1階へスケートボードを見に来た中学生や高校生が、そこから音楽に興味を持って、2階でレコードを買うことがあります。
反対に、レコードを買いに来た人が、1階で音楽に関係するTシャツや靴、アパレルを見ていくこともあります。
そして最終的には、電気屋の仕事につながることも、ほんとにけっこうあるんですよ。レコードプレーヤーの相談だけではなくて、話しているうちに『そういえば、エアコンの調子が悪いんです』という話になることもあります。
電気屋、スケートショップ、レコ屋と、それぞれ別のお店のように見えるかもしれませんが、自分の中では全部つながっています。
電気屋は地域の暮らしを支える場所で、スケートボードとレコードは、自分がこれまで触れてきたカルチャーを体現する場所です。電気屋という土台があるからこそ、自分たちの好きな文化も守りながら続けていけると思っています。
そのうち、レコードを1階へ下ろしたいですね(笑)。
今は2階にあるので、レコードを運ぶのも大変ですし、もっと外から入りやすい場所にできたらと思っています。
ただ、何年後にこうしたいという大きな計画を立てるより、そのときに面白いと思ったことをやっていく方が、自分には合っています。
スケートボードも、レコードも、DJも、これまで全部そうやって続いてきましたから。
これからも、何かひとつに決めるというより、ここに来た人が思いがけず別のものに興味を持てるような場所にしていけたらいいですね。
Recoya VIEW
レコードを探しに、エアコンの相談をしに、スケートボードグッズを買いに。みんな目的はバラバラに北村電機レコードを訪れますが、帰る頃には全然別のカテゴリの話をしている。そんなすこし不思議な場所でした。
お店の中には、スケートボードに夢中になり、音楽やDJ、ファッションに出会い、海外でもさまざまなカルチャーに触れてきた北村さん自身の経験が、少しずつ積み重なっています。
本人は「全部つながっている」と話していましたが、たぶん最初からきれいにつなげようとしたわけではないと思います。好きなものをどんどん追いかけ続けたら、いつの間にか全部が同じ場所に集まっていた。その雑多さと自由さが、北村電機レコードのいい味になっています。
