レコ屋の店主の方へのインタビュー連載”レコ屋のヨモヤマ話”。今回は、愛知県豊橋市の LiE RECORDS を訪ねました。

水上ビルの通路を歩く。外壁は少し荒く、風の通り道みたいな顔をしている。
その一角だけ、ガラスがきれいに光っていて、控えめなサイン”LiE RECORDS”。
入口のそばに、黄色い椅子がぽつん。待ち合わせ用というより、気持ちを落ち着かせるための“余白”に見えた。
引き戸を開けると、天井が高い。白い天井に配管が走り、裸電球が点々と吊られている。床は深い緑。窓が大きくて、光が棚の背を均一に照らす。静かなのに、緊張感がない。
店内の空気は“整っている”けれど、“息苦しくない”。雑多さを排除したというより、嫌なことを減らしていった結果の整い方だ。ぶつからない動線。伸ばしやすい棚の高さ。視線が迷わない棚割り。選曲は、空間の温度を決める。店主の平松さんは“その日”に合わせて音を置く。
“見せる”より先に、“居心地を整える”。そんな空間に感じた。

レジ前の水槽の水草が揺れていた。生活感があるのに、雑味にならない。奥の階段が上へ伸びていて、上が住居だと聞くと腑に落ちる。店が”店舗”としてだけでなく、生活の延長として息をしている。窓辺には植物があって、光を受けて静かに影を落とす。店内の奥にはDJブースの気配もあり、レコ屋でありながら“聴く”と“鳴らす”が同じ床の上に置かれている。

LiE RECORDSはオールジャンルに見える。でも、何でもある店ではない。“何でも起こりうる”店だ。
棚の背骨は、日本のポップス、ロック、ジャズ。そこにヒップホップ、歌謡曲、ソウル、レゲエ、ワールド、実験音楽やノイズまでが混ざっていく。ジャンルの正解で棚を固めるというより、流れ込んできた音を、気持ちよく見える形へ整える棚だと思った。
白い箱棚の上にメモや付箋。ジャケットが面で見える棚。裸電球の光が紙の角を照らして、質感が立つ。棚が語ってる——そう感じるのは、情報量のためじゃない。手間が、棚の表情になっているからだ。
棚の中身は、いわゆる“名盤の教科書”だけに寄らない。70〜80年代のシティポップやAOR、定番のソウルも、ちゃんと手に取られていくという。カーペンターズがすぐに抜けていく話を聞くと、棚の向こう側に、家族や世代の気配が見える。
その言葉を思い出すと、棚の向こう側に、家族や街の時間が見える——そういう土地の温度が、ここにはある。
そしてこの店は、ジャンルを“聴き方”にも伸ばしている。プレーヤーやカートリッジが展示され、入口の近くに”最初の一歩”が置かれている。プレーヤー購入者には、手に取りやすい価格帯のレコードを数枚渡す仕掛けもあるという。入口で迷う時間を、少しだけ短くしている。

そして、ここからがこの店の肝だと思う。
平松さんは、棚をただ並べているのではなく、お客様が“嫌と思うかもしれない理由”を一つずつ消している。
レコードは一枚ずつ検盤し、必要があれば補修し、クリーナーで丁寧に整えて棚に出す。盤面だけじゃない。袋の内側、紙の端、手が届くところまで気を配る。
その言葉は、棚の整い方そのものだった。
店内のDIYも同じ線の上にある。スペースエイジの匂いがする、宇宙っぽい白と緑の設計。壁も天井も床も、自分の手でつくった。
この店の“整い”は、センスの話というより、覚悟の話だ。

平松さんが23歳の頃。ライブ会場の物販に、レコードが置いてあった。サニーデイ・サービスの曽我部さんが関わるソロ/周辺のバンドの一枚だったという。
動機はあっけないほど素直で、でも、その素直さが人の人生を動かす。
当時は、レコードプレーヤーを持っていなかった。買ったのに、聴けない。普通ならそこで止まる。けれど平松さんは止まらなかった。レコードを買って、もっていなかったプレイヤー買ってと、順番が逆のまま、生活が組み替わっていく。
最初に手に入れたのは、立派な機材ではなく、検索窓に”レコードプレーヤー”と打ち込んで出てきた、手頃なものだった。
“わからない”のまま始める。レコードの入口としては、むしろ正しい姿に見えた。

レコードの魅力を、平松さんは“音だけ”では語らない。
データのようにいつでも同じ音が鳴るのとは違う。レコードは“いま、この音しか鳴らない”瞬間がある。聴き続ければ音も少しずつ変わる。
面倒くさい。たしかに。でも、面倒くささが、音楽を手のひらに戻してくれることがある。ジャケットの絵を眺め、紙の匂いを吸い、針が溝をなぞる音を待つ。紅茶を淹れて、本を閉じる。そういう日常の所作の中に、音楽が収まる。
平松さんはかつて3,000枚ほどのレコードを集めていたという。“聴けない音を探す”時代があった。聴けないなら探す。探して見つける。少し遠回りをする。その積み重ねが、棚になった。
旅先で買った盤が、妙に鮮明に記憶に残ることがある。音と一緒に、場所や季節や空気が折り畳まれているからだろう。ここで語られるレコードは、いつも“音源”ではなく“出来事”に近い。

お店の話を続けると、自然と豊川・豊橋(豊川から豊橋に移転)の存在が立ち上がる。店が多く、選択肢が多い都市。そのぶん、街の速度も、棚の速度も違う。
平松さんは、豊橋という地場に腰を据えた。
その言葉は、静かだけど強かった。

豊橋のことを聞くと、少し笑いながら、土地の“ゆるさ”に触れる。
暮らしの手触りが残っていて、変わった挑戦も自然に受け入れられる。近所の年配の方が、昔のレコードを売りに来てくれる。そういう循環が、棚を育てる。
大都市の文脈に飲み込まれず、個人の生活がそのまま店の形になる。水上ビルの古さも、ここでは欠点じゃない。飾りすぎず、棚の精度で勝負できる。
LiE RECORDSは、その呼吸で成り立っている。

来客の層はビギナーも多いという。初心者への言葉は、意外なほど現実的だった。平松さんは初心者の気持ちを、よく知っている。だから入口で“正しさ”を固定しない。
迷うのは、悪いことじゃない。むしろ、迷うところから棚は開く。
プレーヤーは”予算と見た目でいい”。部屋に置いて気分が上がるものから始めればいい。音質を突き詰める楽しみは、その後いくらでも来る。
なるほど。入口で“正解”を固定しないから、始められる。
盤選びも同じだ。まずは自分の興味の棚へ。迷ったら、店主に預けてもいい。初めての一枚は責任重大だから、ついビートルズに寄ってしまう——その人間味も、押し付けにならない。

そしてこの店が大切にしているのは、棚の“気持ちよさ”だ。整った棚は、触る人の手も丁寧にする。注意の多さではなく、導線の良さで、所作が自然に整っていく。一枚でもいい。自分のペースで選んで、気持ちよく持ち帰る。それが、ここでの正解だと思う。
入口に”New Arrival”が用意されているのも、いい。人は“最初の一歩”で歩き出せることがある。家に帰って、針を落として、もう一度ひっくり返して——その繰り返しが、いつの間にか生活になる。

平松さんは東京で、介護施設の事務員として働いていた。待遇も勤務時間も整っていた。それでも、ふと”普通じゃない仕事”をしてみたくなった。
突然レコード店を始める流れになり、頼りにしたのが広島のレコ屋。仕入れや買取の最低限のノウハウを、短い時間で教わったという。
そして2020年に開店した。最初期は今ほど物量は多くなかったらしい。けれど平松さんには、もともとのコレクションと、長い探索の積み重ねがあった。ロック、ジャズ、ヒップホップ、歌謡曲、クラシックまで。新譜も中古も混ざる。棚は、趣味だけではなく、生活としての選択でできている。

棚を支えているのは地元からの買取だ。
つまりここは、店主の趣味の陳列というより、街の記憶の受け皿だ。
そして、平松さんの思想は、盤の表面に出る。1枚ずつ検盤し、必要なら補修し、クリーナーで磨く。次の人が気持ちよく針を落とせる状態へ整える。目立つ宣言はない。けれど、触るとわかる。誠実な掘りは、音より先に、手触りに宿る。

平松さんは、もともとコミュニケーションが得意ではない。人混みも苦手で、基本的には一人で過ごしたい。
それでも、店を開ける。棚を整える。人が来る場所をつくる。
その理由が、レコードだった。
レコードが間にあると、人と人の距離が少しだけ自然になる。会話が“音”を経由する。直接ぶつからずに、同じ棚の前に立てる。
そして、その距離感が、店づくりの丹精に繋がっている。
人と話すのが得意じゃないからこそ、空間で伝える。棚で伝える。盤の清潔さで伝える。
お客さんに対して、言葉より先に“気持ちよさ”を渡す。明るい窓。白い棚。緑の床。裸電球の点。水槽の揺れ。入口に用意された最初の一歩。
“名盤”より、“いまの自分に必要な盤”。
その一枚に出会うための入口として、この店は静かに磨かれている。
LiE RECORDSは、そういうレコ屋でした。

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