レコ屋の店主の方へのインタビュー連載”レコ屋のヨモヤマ話”。今回は、東京都杉並区下井草の PHYSICAL STORE を訪ねました。

下井草の住宅街にあるこの店は、ただ“センスのいい個人店”ではありません。店主の清水さん。音楽の現場ではCHEE(ちー)さんの名で親しまれている、長年DJとして国内外で信頼を積み上げてきた人です。実際に海外からCHEEさんに会いに来られるお客さんがいらっしゃいます。だからこの店には、単なるローカル店では終わらない引力があります。
とはいえ、店の前に立ったとき最初に伝わってくるのは、肩書きの強さよりも空間の緊張感です。黒を基調にした外観、少しだけ身構える入口。実際、CHEEさん自身もこの店の第一印象について、こう話していました。
でも、その一拍の緊張は、中に入るといい意味で裏切られます。木の棚、整ったレコード、ターンテーブル、スピーカー、ヘッドホン。情報量は多いのに、うるさくない。DJ目線で言うと、ここは“盛っている店”ではなく“整っている店”。

しかもここは、ただレコードを買うだけの場所でもありません。近所の人がお酒を飲みに来て、レコード好きの常連さんと自然に混ざっていく。ローカルの社交場でありながら、外から目がけて来る人の目的地でもある。その感じをCHEEさんは、
と話してくれました。
入る前は少し緊張する。でも入ってみると、思ったよりやわらかい。この“ほどけ方”が、まずこの店らしかったです。

レコ屋の棚って、その店の考え方が出ます。PHYSICAL STOREの棚を見ていて思ったのは、”何があるか”より、”どうつながっているか”が面白い、ということでした。
ジャズ、ヨーロッパのプログレッシブ・ロック、ワールドミュージック。言葉だけ拾うと幅広い。でも、単なるオールジャンルではありません。棚の芯にあるのは、網羅性じゃなくて、CHEEさんの耳が引っかかったものの流れです。
その姿勢を、CHEEさんはすごく端的に言っていました。
知っているものを深く掘るだけではなく、まだ自分でもよく説明しきれないもの、でも何か惹かれるものに手を伸ばしていく。その感覚が、店の棚全体に広がっています。

今はジャズが多めだそうですが、それも最初から専門的に狙っていたわけではありません。大きな買い取りがきっかけで、オーセンティックなジャズがまとまって入り、自分でも聴きながら面白さを見つけていった。つまり棚は、最初から完成された設計図どおりではなく、店主の興味と発見に合わせて少しずつ育ってきたものなんです。
そしてこの棚に説得力があるのは、CHEEさんが長年DJとして音を人前に差し出してきた人だからでもあります。どの盤が場にどう効くか、どの音が会話の余白に馴染むか、どの一枚に“かけどころ”があるか。その感覚が、コメントの奥に通っている。だから、PHYSICAL STOREの棚は“正解集”っぽくないのです。

インタビューの中で、個人的にいちばん惹かれたのがここでした。”人生を変えた一枚はありますか”と聞いたとき、CHEEさんは、いかにも名盤を一枚挙げる感じではなかったんです。
その理由を語る言葉が、とても印象的でした。
この答え、すごくPHYSICAL STOREらしいと思いました。
若い頃に響かなかったものが、大人になって急に開くこともある。昔は通り過ぎた音が、いまの自分には妙に効くこともある。CHEEさんは、アンビエントの話や、ブライアン・イーノの見え方が後から変わったこと、さらに最近では古いジャズの面白さが開花してきたことを話してくれました。その感覚を説明する言葉として、すごくよかったのが、
という一節です。

私も最初はよさがわからなかった盤、たくさんあります。数年後にかけたら、急に抜けがよく感じたり、中域の気持ちよさが見えてきたりする。前はスルーしていたのに、ある日突然”これ、いいな”となる。
レコードって、盤面は変わらないのに、自分自身の聴き方が育つことで、何度も別の景色を見せてくれるんですよね。
PHYSICAL STOREの面白さは、その“育っていく耳”を前提にしているところだと思います。これは初心者向け、これは玄人向け、みたいな乱暴な分け方ではなく、いまはまだわからなくても、いつかふっと開くかもしれない盤がちゃんと置いてある。
“知っている曲”を増やす店というより、“聴けるようになる感覚”を信じられる店。そんなふうに感じました。

PHYSICAL STOREの話を聞いていると、店そのものだけじゃなく、この土地との関係がすごく大きいことがわかります。
下井草は、いわゆるレコード街ではありません。住宅街で、昔から住んでいる人も多い。派手ではないけれど、静かすぎるわけでもない。その“なんでもなさ”が、この店にはすごく合っていました。
CHEEさんはこの街について、
と話していました。でも実際には、その“何の変哲もなさ”が大事なんだと思えてきます。もっと都心なら、お店はもっと“目的地”っぽくなるはず。逆にもっと閉じた土地なら、海外から訪ねてくる人との接点は薄くなるかもしれない。下井草は、そのちょうどあいだにある。

住宅街っぽさがある。でも東京だから、目がけて来る人もいる。近所の人が飲みに来る一方で、海外からCHEEさんに会いに来る人もいる。その交差が、すごく自然です。
しかも、CHEEさん自身がこの街をかなり好きなんだろうな、というのが伝わってくる。
レコ屋と土地の関係って、意外と店の空気を大きく左右します。下井草だから生まれた、この“ちょうどいい混ざり方”もこのお店の魅力の一つなんだと思います。
最近は隣でれこーど三輪社の動きも始まり、場所としての広がりも見えてきています。

れこーど三輪社は、下井草で新しく鳴り始めた、ダンスミュージックをメインに扱うレコ屋。2026年2月22日、PHYSICAL STOREに隣接してオープンしました。音楽を通してつながってきた人たちの熱が、そのまま棚になっていくような場所で、まだ始まったばかりだからこその面白さがあります。完成された店というより、盤と人が混ざりながら、これから輪郭を育てていく店。新しい流れが生まれる現場って、こういう温度なのかもしれません。

CHEEさんのキャリアを語るうえで外せないのが、DJとしての長い活動です。東京生まれで、10歳で長野・松本へ。そこで洋楽を聴き始め、自分でレコードを買い、高校ではバンドもやる。東京に戻ってからはデザインの勉強と仕事、DJ活動、ネットでのレコード販売、そして実店舗へ。音楽はずっと生活の中心にあります。
とくに大きいのは、DJとして独自のスタイルを続けてきたことです。ダンスミュージックの文脈だけに閉じず、“聴くためのDJ”として時間をかけて支持を広げてきた。その選曲とレコード販売が並走したことで、国内だけでなく海外でも関心を集めるようになった。本人も、
と話していました。

でも実際に会って強く残るのは、その派手な経歴よりもむしろやわらかさです。知らないことを知ったかぶりしない。教えてもらうことも率直に聞く。そこがすごく素敵でした。
という言葉に、その人柄がよく出ていました。若い頃はかなり尖っていたそうですが(笑)。
そうして長く音楽を続ける中で、いろんな人と出会い、いろんな考え方に触れ、少しずつ物事を俯瞰して見られるようになった。音楽って、スキルや知識だけじゃなく、人の輪郭まで変えることがある。CHEEさんの穏やかさは、生まれつきというより、長い時間を音楽と過ごす中で育ってきた質感なのだと思います。

”お客さんに対して大事にしていることはありますか”と聞いたとき、CHEEさんの答えはとてもシンプルでした。
PHYSICAL STOREは、最初から探し物が決まっている人だけの店ではありません。もちろん目当ての一枚がある人も来る。でもそれ以上に、”何かあるんじゃないか”という期待で来る人が多い店なんだと思います。
だから、レコード初心者にも実はすごく向いている。知識がなくてもいい。ジャンルを正確に言えなくてもいい。困ったら聞けばいいし、気になったら試聴すればいい。“知らないからこそ面白い”という入口が、この店にはちゃんとあります。
さらに、この店に来る人たちの動機を表す言葉として、すごくしっくりきたのが”何かを見つけに、探しに来る”という感覚でした。タイトルを回収しに来るというより、まだ名前のついていない“気になる”を拾いに来る。それって、初心者にも常連にも共通する、この店の楽しみ方なのかもしれません。

PHYSICAL STOREに来て感じたのは、レコードがモノとして並んでいるだけじゃなく、音楽のまわりにちゃんと人がいるということでした。
棚にはCHEEさんの耳が出ている。カウンターには会話が生まれる。近所の人が飲みに来る。海外から会いに来る人もいる。音楽の濃い人とそうじゃない人が、同じ場所で自然に混ざっている。
この混ざり方が、すごくいい。スパイスだけを効かせた料理じゃなくて、出汁が奥でじわっと支えている感じ。派手ではないけれど、あとからちゃんと残る。レコ屋としての深さはあるのに、情報だけが前に出ていかない。最終的には、盤の向こうにいる人の気配まで含めて、この店の魅力になっている気がしました。

CHEEさん自身、その場のあり方について、
と話していました。ここでは音楽が、人を選別するための道具にはなっていません。詳しさの勝負でもないし、正しさを示すものでもない。音楽のまわりで人が自然につながっていく、そのこと自体がこの店の価値になっている。
最後に、その場の本質をいちばん素直に表していたのは、こんな言葉だったかもしれません。
でも、それは閉じた私室ではなく、音楽をきっかけに誰かがふっと入ってこられる部屋。PHYSICAL STOREは、そんな開かれた私的空間のような、不思議な魅力を持った場所でした。
知らない音に会うこと。知らない自分に会うこと。そして、それを変に気負わずに始められること。次にかける場所まで、想像を連れていく。
そんな一枚を探しに、PHYSICAL STOREまで来る理由は、ちゃんとあります。
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