レコ屋の店主の方へのインタビュー連載”レコ屋のヨモヤマ話”。今回は、東京都新宿区神楽坂の 大洋レコード を訪ねました。

神楽坂の路地って、いいレコードのB面みたいだなと思うことがあります。表通りの賑わいがA面なら、一本入った先には、もう少し温度の低い、でも長く残る余韻がある。大洋レコードは、そんな場所にありました。
ただ“珍しい盤がある店”じゃない。棚の切り方、CDの見せ方、レコードのかけどころ、壁の使い方。全部に、店主の伊藤さんの耳が入っている。セレクトというより編集。素材を並べるんじゃなく、流れを作っている感じです。

その入口には少しだけ緊張感があります。構造上、どうしても店主と向き合うような導線になるからです。伊藤さん自身、そのことをよくわかっていました。
この自己認識がいいなと思いました。入りにくさをわかった上で、無理に親しみやすくしすぎない。そのかわり、居方の余白はちゃんと残している。いまの店舗ではコーヒーも出していて、盤を見て、少し座って、話したければ話す。黙っていたければそのままでもいい。その距離感が、とても自然です。
扱うのは、ブラジル、アルゼンチン、フランスを中心にした音楽。しかも伊藤さんは、店舗だけじゃなく、卸も、レーベルも、その手前の紹介も、自分でつないできた人です。だからこの店の棚には、単なる品揃え以上の手触りがあります。知識の厚みというより、運んできた時間の厚み。盤の角の擦れみたいに、ちゃんと生きた跡がある。

伊藤さんの話でまず好きだったのは、音楽の入口がきれいすぎないこと。最初から筋のいいコレクターじゃない。最初から南米音楽の専門家でもない。もっと手前の、生活の中の音から始まっている。
子どもの頃、家にあったのは、てんとう虫の形をしたレコードプレイヤー。もうその時点で、入口としてかなりいい。音楽って、最初は知識より先に、形とか色とか、“なんか触りたい”で入るものだったりします。伊藤さんの話には、その入口の柔らかさが残っていました。
テレビの歌番組を見て、気になった曲を覚えて、何度も聴く。歌謡曲も、ヒット曲も、ちゃんと通っている。そこがいいんです。最初から玄人っぽいルートだけ歩いてきた人の棚より、こういう雑味を通ってきた人の棚のほうが、あとからじわっと効くことが多い。

そして初めて買ったレコードの話も、すごく自然でした。いまの店の空気感だけ見ていると少し意外だけど、その意外さごと信用できる。
最初に通った音楽が、生活のなかのポップスであること。そこを雑に飛ばしていないこと。だからあとでどれだけ深く掘っても、棚が変に尖りすぎない。ちゃんと“人の暮らしに戻ってくる音”として残るんですよね。

中学に入ると、祖母にシンセサイザーを買ってもらい、CDを借りてカセットに落とす生活が始まります。さらに『ベストヒットUSA』や『MTV JAPAN』をタイマー録画して、擦り切れるほど見返す。洋楽を“勉強した”という伊藤さんの言い方は、少しも大げさではなさそうでした。
吹奏楽部ではバリトン・サックスを担当し、中学2年でギターを手にする。スコアを見ながら練習し、早い段階でオリジナル曲も作り始める。高校では仲間を誘ってバンドを結成し、柏や南浦和、新宿のライブハウスに出るようになります。バイト代も時間も、ほとんど音楽に使っていたそうです。
その頃の熱はまっすぐだったと思います。かっこよくなりたい、有名になりたい、音楽で何かになりたい。けれど、伊藤さんはその勢いの先で、表面だけでは足りないことにも気づいていきました。
フォームだけ借りても、音の芯は鳴らない。見た目や型だけ追っても、自分の音にはならない。後になって、ギターボーカルとして、自分が歌いやすいようにバッキングを組み立てることや、メロディーを忍ばせることの意味に気づいていったそうです。

大学に入ると、渋谷や下北沢のレコ屋に通いながら、ロック、インディー、渋谷系へと視界を広げていく。そのなかで、好きだったものを、そのまま“青春の正解”にせず、あとから見直す時間も持つようになります。
ここ、かなり大きな転換点だった気がします。好きだったものを、あとからちゃんと問い返せる人って強いです。自分が何に反応していたのか、何が足りなかったのか、それを考え直した人の棚は、レビューっぽくならない。伊藤さんの棚にある静かな説得力は、たぶんこの“あとからの掘り直し”から来ています。

大洋レコードの軸は、ブラジルやアルゼンチンの音楽です。でも、その軸は、後から作った看板には見えませんでした。もっと自然に身体へ入ってきた音、気づいたら自分の温度になっていた音、そんなふうに聞こえます。
最初の仕事は、女の子向けのフレンチカジュアルのアパレル。そこからフレンチポップへ接続し、その後は大型CDショップでワールドミュージックを担当。アルゼンチンロック好きの上司のもとで、未知の音に触れ、癖になるかっこよさにハマっていく。さらにレコード会社の輸入盤部門子会社へ入り、営業として経験を積みながら、自分の進むべき方向を見つけていきます。その一方で、フレンチポップからジョルジュ・ムスタキやピエール・バルーを辿り、ブラジルとの文化的なつながりを知る。
エレキからアコースティックへ、さらに「これはクラシックギターだな」と身体でわかっていく感覚。情報が少ない時代に、実際に見て、聴いて、確かめながら掘ってきた。その積み重ねが、いまの棚の芯になっています。

そして伊藤さんは、そこで“誰かが運んでくる音を待つ”側には収まりませんでした。
この一言、かなり伊藤さんらしい。選ぶのも、仕入れるのも、届けるのも、自分でやったほうが早い。そこには商売人の判断もあるし、DJっぽい美学もあると思います。誰かの流れに乗るんじゃなく、自分で流れを作る。その感覚が、棚にもそのまま出ている。

伊藤さんは、小売だけでなく、輸入卸も、レーベルも、自分でやってきた。つまり、店で待つ人ではなく、音の流れを上流から作ってきた人です。
自分で大量輸入した盤を大手店舗に卸したことで、その音楽が広がっていった経験もある。サンパウロのムーブメントをまとめて紹介し、立ち上げた実感もある。自分が好きなものを並べるだけではなく、その音が別の場所へ届いていくことに、はっきり意味を感じている人です。

その姿勢は、レーベルや日本語詞の制作にもはっきり表れています。南米へ渡り、仕入れと営業を兼ねて現地に入る。ブラジルの歌手に日本語詞を提供し、古いボサノヴァ曲を新しい形で届ける。さらに映画主題歌の日本語詞にも関わる。
店で売ることも、レーベルで出すことも、卸で広げることも、全部別の仕事に見えて、根っこは同じです。まだ広く知られていない音を、必要な人のところまで届けること。大洋レコードの価値は、一枚の珍しさより、その流れを手渡してくれるところにあります。
ここで知った一枚が、家のスピーカーで鳴る。誰かの会話に出る。別の場所でまたかかる。旅先でふと思い出す。そういうふうに、次のかけどころまで想像が伸びていく。大洋レコードの良さは、盤が棚の中で完結しないところにあります。

伊藤さんの話には、かなり現実的な苦労もありました。日本と海外の仕事の文化の差異や、外部環境による輸送費や円安の問題。専門店を続けることの難しさは、言うまでもなくある。でも話の重心は、そこに沈み込みません。
たぶん伊藤さんは、商売のうまさそのものより、“自分が持ってきた音をどう渡すか”のほうにずっと心がある人なんだと思います。卸でも、レーベルでも、小売でも、形は違ってもやっていることは近い。いいと思ったものを、必要な場所までつなぐ。その仕事に、ちゃんと誇りがある。

以前の店舗では、テラスで季節ごとにノンマイクのライブもやっていたそうです。その話を聞いていると、ただ店で売るだけじゃなく、音が場に混ざっていく瞬間そのものが好きなんだろうなと思いました。人が集まり、音が鳴り、紹介したものが別の誰かへ渡っていく。その流れをつくるのが、伊藤さんにとってはかなり大きな喜びなんだと思います。
この言葉、すごくきれいでした。自分が前に立つことより、自分がつないだ音がどこかで鳴っていることのほうがうれしい。そういう人の仕事って、派手じゃないけど強いんですよね。あとから効く。

一方で、その誠実さは、商売としては少し危うさにもなる。伊藤さんは、そのこともちゃんと自覚していました。
でも、ぼくはこの“下手さ”がかなり好きでした。効率で棚を作る人には出せない鳴りがあるからです。売れそうだから置く、じゃなくて、自分で責任を持てるから置く。その不器用さごと、この店の音の抜けになっている。だから大洋レコードの棚は、静かなのにちゃんと深い。

神楽坂には、洗練された店がたくさんあります。完成度の高い店も多いし、入った瞬間に“世界観”が決まっている店も多い。そのなかで大洋レコードは、もう少し余白がある店です。押しつけないし、派手に映えもしない。でも、じわっと効く。帰り道でふと思い返すタイプの店です。
ブラジルやアルゼンチンの音楽に詳しくなくても、全然問題ありません。むしろ、そのほうがいい入口になるかもしれない。知らない棚を眺めて、少し話を聞いて、コーヒーを飲んで帰る。その時間のなかで、“知ってる曲”じゃなく“知らない自分”に会う感じがある。いいレコ屋って、そういう場所ですよね。

伊藤さんは、強く押してこない人です。でも、棚の並び、置かれた盤、店での距離の取り方、その全部にちゃんと思想がある。だからこの店は、静かなのに弱くない。さらっとしているのに、後味がある。ちょっといいスパイスみたいに、あとからじわっと残る。
神楽坂で少しだけ道を外れて、この店に入る。そんな一枚を探しに、大洋レコードまで来る理由は、ちゃんとあります。
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